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報告

2020年3月3日(火)

JICA経験同窓生:阿部哲史さん[1983年・昭和58年卒 第35回生]座談会/業種別ネットワーク推進委員会​(#03)

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ダイジェスト4 「JICA帰国後のハンガリーでの生活」

阿部:私は1992年(平成4年)から2年半、隊員として活動した後の95年(平成7年)の2月に帰国しました。その後、4月から練馬区の都立田柄高校で非常勤講師をしていましたが、その8月、ハンガリー剣道連盟から一通の国際速達が届きました。中身は、国立ベスプレム大学というところで体育教員の公募がでた。採用条件は、武道を指導できる修士資格を有する人材で、かつハンガリー語もできること。職位は助教授。「だから、応募してハンガリーに戻ってこないか?」というものでした。もちろん、私を引き戻すために剣道関係者が地方大学に働きかけて作った公募です。5,000人ほどの学生を抱える地方大学の一般教養体育で2、3種目を担当する。選択種目で剣道指導も可能ということでした。付加された条件は同市の剣道クラブを指導すること。表向きだけみれば、日本で大学教員を目指していた私にとってさほど文句を付ける内容ではありません。そこで肝心の「給料は?」と尋ねると、月給が36,000ハンガリーフォリントとのことでした。これ、当時の日本円に換算すると24,000円でした。日本では耳を疑ってしまいますが、当時のハンガリーでは成人男子の平均給与と変わらない額でした。現在でも理系新卒者の平均給与が日本円にして8-9万円程度ですから当時にすれば妥当な額だともいえます。

で、私の回答は「応募する」でした。ここまでお膳立てをされて誘いを断るのは男ではない、と本気で思っていましたので。ただ最終決定をする前にとりあえず、古巣の筑波大の研究室関係者に相談しました。そうしたら、「バカかお前は。助教授の肩書は立派だが、月給24,000円なんて。今時だったら都内の私大非常勤講師なら1日で稼げる額だ。それじゃ割に合わないだろう。そもそもその先、将来どうするんだ?」と何度も聞かれました。まあ、この発想はごく当然かと思います。しかし、2年半でやり残したことが山ほどあり、帰国後も頭のなかはハンガリーのことで頭がいっぱいだった私には、「神が与えてくれたチャンス」だと思っていましたので「現場に入ればなんとかなるさ」と楽観的でした。そこで最終的に親に相談したところ母は、「やっぱりこうなると思った・・・。あなたの人生だから好きにしなさい。ただ、人と違うことをするのだから苦労する覚悟をしなさい。責任はすべて自分で取ること。後で泣きついてこないでね」と背中を押してもらえました。

宮川:ハンガリーに戻ってから、さっき言われた剣道の普及だけではなくて、世界選手権大会で勝ちに行くぞというレベルに至るまでどれくらいの年月がかかったのですか?

阿部:初めてハンガリーに降り立った1992年(平成4年)から換算するとちょうど20年かかりました。実はハンガリーに舞い戻った1995年(平成7年)から2年後の97年(平成9年)に第10回剣道世界大会が京都であり、その際には男子団体戦2部で優勝することができました。1部というのは、前大会で上位になった12チーム。ハンガリーは実績がゼロでしたので2部の24チームのひとつとして参加したのです。その全く無名のハンガリーが、2部とはいえいきなり優勝したため関係者の間では話題になりました。でも、レベル的には2部に過ぎず、そこから1部のベスト4の3位にまでのし上がる道のりは長かったです。

藤原:世界選手権大会って何年に1度あるのですか?

阿部:3年に1度です。ハンガリーは欧州チームとしては金字塔である2大会連続3位を2012年(平成24年)のイタリア大会、2015年(平成27年)の東京大会で成し遂げました。男子団体戦の2部制は1997年(平成9年)に一度だけ実施されたので以来、大会はすべての国がひとつのカテゴリーで試合をしています。近年は出場国は50ヶ国前後で、ヨーロッパ勢が3位以内に入ったのは過去にイタリアが一度あるだけです。

↑1998年、スイスのバーゼル欧州剣道大会で2位になった際の男子チーム

世界の剣道界について簡単に説明しておきます。日本の警察官や韓国の公務員などの一部の剣士は、プロ化されてはいませんが実際にはプロ同様の待遇で稽古をしています。この剣道、そもそもどうやって世界に広まったかと言いますと、韓国と台湾では1900年頃から滞在していた日本軍によって現地に広まりました。一方アメリカ、カナダやブラジルといった国では、20世紀初頭に数多くの日本人が移民したために伝播が進行しました。つまり、これらの国の選手たちは昔から日本人と稽古をしたり、日本に足を運んで大学や警察でハイレベルな練習をする機会に恵まれているのです。ですから、技術レベルが日本にちかく、世界選手権でも常に上位を確保してきました。最近では、日本人で生まれ育った選手がアメリカの永住権を取得して国際大会に出てくることもあります。これに比してヨーロッパに剣道が伝播したのは1960年代で、東欧ともなると1980年代です。最近のヨーロッパのトップ選手たちには、ヨーロッパ生まれの日本人、あるいは日系ハーフの選手が目立ちます。彼らは日本ルートを持っていますので、足しげく日本で稽古することも当然可能です。それから、1990年代から実力を付けている韓国選手が、国籍を変えて他国から出場するケースも増えています。そのため「ヨーロッパのチーム」でありながら半数以上が非白人ということも珍しくありません。ヨーロッパはそういう部分で寛容なので今後もそうした傾向が強まると思います。でも、そのようななかでハンガリーはというと、日系人はおろか他国からの移民剣士はいません。別に排斥しているわけではなく、経済的な問題があって、そもそも日系人も移民もいないのです。つまり、チームは純粋のアマチュアハンガリー人で構成されて、中には20年も剣道をしていながら一度も日本に足を踏み入れたことがない純粋ハンガリー培養の選手もいます。ですから、最近の国際化が進む現在の剣道界の流れからすると、ハンガリーチームが国際大会で3位に入賞を果たすなんてことは誰も想像できないわけです。

小藤田:ところで月給24,000円でいったいどうやって生活できたのでしょうか?

阿部:副業を持たざるを得ません。実際のところ、ハンガリーの大学教員は誰でも何かしらの副業を持って暮らしています。大学の給与だけでは生活できないのです。体育の先生であれば本業の大学の傍ら、大学の施設を利用してクラブを開設して指導料を徴収するというわけです。でも私の場合、剣道でお金が取れないのでとても苦労しました。というのも、青年海外協力隊で赴任した私はボランティアですから、当然剣道指導でお金を稼いだことはなかったわけです。国内のクラブも運営費を会費で賄うので精いっぱいで、指導者に謝礼を払うという習慣はまったく育っていなかったのです。私は、そういう環境にあった国の剣道連盟の専属コーチとして舞い降りたわけです。それが、1995年(平成7年)から急に「昨日からボランティアではなくなったので指導料を徴収します」とは言えないわけです。私の事情は変わっても、会員の方は何も変化していないのです。おまけに、剣道連盟のテクニカルディレクターという役職に就いたため連盟の財政状況は誰よりも分かっていましたので、指導料が欲しいなど口が裂けても言えない。言っても無駄だったのです。ということで、本業である剣道指導で生計を立てることは一切考えたことがありませんでした。協力隊を辞めた後も、まさしくボランティアでした。

それでも2010年(平成22年)以降でしょうか、会員数の増加や国の国際大会での成績上昇にともなって国のスポーツ局からいくらかのお金が入るようになり、テクニカルディレクターに手当が出るようになりました。もちろん大した額ではありませんが、相当な進歩だと思って喜んで受け取りました。2012年(平成24年)のイタリア大会で3位になった後、中国チームの関係者がやってきて「3位おめでとう。ところで、月給はいくらもらっていますか」と聞いてきたので、「ずっと無料だよ」と答えたら驚嘆されました。それを聞いたハンガリー人は、「阿部先生は世界中で一番安価にチームにメダルを取らせる専門家だね」と笑ってくれましたが、私にはあまり笑える過去ではありません。

小藤田:それでどんな副業をされていらしたの。

阿部:日本とハンガリー商社の間の通訳兼コーディネーターとか、日本製品の輸入やハンガリー産物の輸出なども手がけました。でも、ほとんど小遣いかせぎで終わった気がします。本業は剣道指導だと割り切っていましたので本腰が入らかったのかもしれません。

内野:ハンガリーの言語であるマジャール語はどうやって教わりましたか?

阿部:基本的には独学ですが、もっというと飲み屋で覚えたハンガリー語でしょうか。だから決して質の高いハンガリー語を操っているわけではありません。ただ、私が伝えるべき内容は剣道であり、それに付随した日本文化や習慣、思想ですから基礎さえできていればなんとでもなります。今は大学の講義で1時間半くらい話をするのは苦になりません。日本の会社から通訳・コーディネーターを本業にしないかと誘われたこともありますが、そうなると剣道指導に支障をきたすので断ってきました。稼ぐためだけに生きるのであれば日本に戻ればいいわけであって、はやりハンガリーでやりたいことを優先させる生き方は崩せませんでした。それもあって1995年(平成7年)から2005年(平成17年)までの10年間は生活自体が本当に苦しかった記憶があります。とはいえ、徐々に剣道の指導成果が目に見えるようになってきた段階でもあるので、実際には明るい顔をして楽しく暮らしていたと思います。

↑2015年剣道世界大会(東京)で3位入賞

内野:道なき道を歩んで来られて、これは困ったなという経験は如何でしたか?

阿部:私が渡航する直前までハンガリーが社会主義国だったこともあり、日本人の私からすると精神的にすさんだ部分が強く感じられたことでしょうか。今でも多くいますが根本的に無責任で、金銭的な損得勘定だけで行動や人間関係が決まってしまう点が気になります。何をしても、「金にならないからやらない・・・」という諦めが大人の心を強く支配しているのです。剣道は金稼ぎにはならないし、時間をかけて稽古しないと本当に楽しいレベルに到達することも難しいので、こうした拝金主義に偏って打算的に物事をみている人には、全くもって魅力なものには映りません。ハンガリー人が持つこういう歴史や風土に培われた精神性はちょいと外からやってきた外国人にはどうすることもできませんから、無力感を感ぜずにはいられませんね。

内野:青木盛久事務局長の話もそうですが、阿部さんには求心力があると思います。ところでハンガリー人が抱く剣道のイメージはどの様なものでしょうか?

阿部:現在、ハンガリーで一番人気のスポーツはサッカーです。2番目は意外ですが空手なんです。柔道も上位ですし、さらに合気道もそれなりに人気スポーツです。残念ながら剣道はマイナー種目の筆頭といったところです。私はハンガリーの文科省やスポーツ庁の役人と一緒に仕事をすることがありますが、彼らは剣道も含め武道に対して「欧米のスポーツにないもの」を求めていることがはっきり分かります。それは、一言でいうと青少年の躾(しつけ)です。つまり、ハンガリー人の多くが国技といわれるサッカーや水球が特別青少年の躾教育にそれほど役立つとは思っていないのです。誤解を招くといけないのですが、競技スポーツそのものの存在意義は最終目的にプロ選手になったり、指導者としてお金を稼ぐことと割り切っていて、スポーツの本質を躾にはおいていないということです。

内野:そうなのですか!?

阿部:はい、例えば水球やハンドボールといった人気スポーツを遊びや体育の授業でもやりますが、クラブとなると話は別です。欧州人がスポーツクラブへ通うということは、その段階で、ある程度プロが意識されているといっても過言ではないでしょう。もちろん全員がそういうわけではないのですが、少なくとも指導者はプロです。ですから、プロ予備軍の養成も頭にはいっていますので指導では徹底して技術指導がメインになります。つまり、技術以外の余計なものはできるだけ指導で削っていかなければ時間と労力の無駄になり、躾が主目的になることはないのです。教わる方もそういう覚悟を持ってクラブに入ってきますので、親も子供の将来にプロ選手になって生業にすることをある程度想定しています。ということもあり、実力のあるコーチを親同士で奪い合う、互いを蹴落とすために騙したりなんてことも珍しくはありません。というか、あって当然の世界なわけです。つまり、躾のためにクラブに通っているという感覚はないので指導者側も最低限の躾はしますが、それに重きを置くことはあり得ないのです。

はっきり言って、日本のスポーツ環境のなかで育った私などからするととても殺伐とした世界に見えます。でも、ハンガリーはそういう環境にすることで各種スポーツが世界的なレベルで成功していると云えます。その証拠ともいえますが、世界トップレベルを走る種目である水球、フェンシング、カヤック&カヌー、ハンドボールなどが挙げられますが、これらの種目が強いからといって決して競技者人口が多いというわけではありません。例えば、五輪や世界選手権で金メダリストを多数輩出しているフェンシングは、競技人口が1,000名を下回っているそうです。最近少し強くなってきた日本はというと、軽くその10倍はいるそうです。つまり、強い種目というのはプロ志向者のみ、少数精鋭で選手育成しているということです。これは世界No1と言われるカヤック&カヌーでも同様です。

こうした風潮のなか、将来プロを目指す気などほとんどなく、健康や教育的な効果だけを期待して子供をクラブに通わせたいという親も大勢います。武道はそういう親たちに人気のある種目ではないでしょうか。例えば、空手・合気道・剣道などはハンガリー国内にあっても、しっかりと礼儀や振る舞いを大切に指導されています。それゆえ、躾を大切にしてくれる日本武道の方がプロスポーツに道が開けている欧米スポーツの種目よりも親にとっては有益である、そのため空手がサッカーに次いで人気が出るような現象が起こっているのだと私は見ています。伝統的に躾教育を重視している日本の武道は、ハンガリーだけではなく間違いなくヨーロッパ全土で期待されていて、この価値は見逃していけないと思います。

 

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