卒業生近況

1999年卒 鈴木 斎彦さん (2020年2月20日)

神職と教職、城北がとり持つ良縁に感謝

祖父は近藤薫明元校長と同窓

私の家は板橋区双葉町にある氷川神社の宮司を務めています。創建は1390年代と云われ、600有余年前の室町時代からこの地の鎮守として祀られております。祖父は國學院大學で近藤薫明元校長と同窓であり、私が地元中学から城北高校に進学した際「あの薫明さんの学校に行くのか」と喜んでくれました。

祖父は神職では珍しく教員免許を持っていて、日中は宮司として、夜は大泉高校で教員として働いておりました。また父も日中は神職、夜は塾講師や家庭教師をしていました。私も現在板橋区稲荷台にある帝京高校の教師をしており、3代続けて神職にありながら教育に関わるユニークな家系です。

 

歴史部復活を機にチャレンジ精神はぐくむ

私が高校に入学した1996年(平成8年)は近藤薫明校長ではなく矢澤友一校長でいらっしゃいました。卒業時は加藤健治校長です。担任は高1のときに数学科の青柳先生、2年は社会科の大畑先生、3年は国語科の熊谷先生です。入部したのは歴史部で、著名な歴史学者でいらっしゃる小和田哲男さんが60年ほど前に創部に尽力してできた部だと聞いています。

そんな偉大な先輩が作られた歴史部ですが私の上の代まで部員不足が原因でしばらく休部状態になっていました。それを高1の時同学年の10人で復活させ、さらに部誌である『嚆矢(こうし)』を刊行しました。これをきっかけに自分で何かにチャレンジすることに目覚めた気がします。高2の夏には巡検(=フィールドワーク)を私が企画して青森県の三内丸山遺跡と函館の五稜郭を巡りました。この時すでに青函連絡船は廃止されていましたが、敢えて船で津軽海峡を渡り、実に楽しい巡検でした。歴史部は高1から高3までこの10人だけでしたので、お互いの結束が固く、今でも良き友です。私たちが卒業する年に何人か入部してくれたので休部を免れ、さらに中学でも入部があり中学歴史部も復活したため安心できました。

1997年(平成9年)歴史部巡検で函館に向かう船内にて(右)

 

3人に二人は早稲田か慶応、30人に一人が東大へ

高3最初の学年集会のとき進学指導部の先生がおっしゃいました。「いいか君たち、周りを見回してみなさい。今視界に入った3人に2人は早稲田か慶応に進み、30人に1人が東大に進む。昨年の先輩の実績がそうだから、先輩にできて君たちにできないことはない!」と。この話は本当に衝撃的でした。当時は希望すれば夜11時まで教室を自習室代わりに使えましたし、朝も5時半には美術室を開けてもらって自習できました。私の代の354人の進学実績は早稲田大125人、慶応大98人、東大が11人でしたので、進学指導部の先生がおっしゃられたことはまんざら誇張ではなかったのです。当時の城北はとても熱心な先生方が多かったですが、生徒が勉強に集中できる環境を学校が提供してくれたことにとても感謝しています。唯一悔やまれるのは私が大町山荘2週間勉強合宿に行けなかったことでしょうか。かく云う私も早稲田大学に合格できました。一浪はしましたが・・・。

高3-A組のクラスの仲間と(右から2人目)

 

地鎮祭がとりもつご縁

今の校舎は1990年(平成2年)に竣工しましたが、その建設工事に先立って地鎮祭を父も執り行っております。新しい校舎で3年間を過ごし、教育実習で戻ってきて、伊吹先生のクラスを教えたのが2003年(平成5年)の6月でした。

1988年(昭和63年)地鎮祭で鍬入れをされる井上貴雄理事長(当時)と父(左上)

 

保護者会の日は実習生は授業を控えるのが通例ですが、伊吹先生が「君がやれ」とおっしゃいます。父母がぞろっと後ろに立って私の授業を観察するものですからそれは相当なプレッシャーです。でも終了時に父母の皆さんから拍手して頂いたのは嬉しかったですね。伊吹先生の粋なご配慮も嬉しかったです。

話は前後しますが2003年に帝京中学・高校も校舎の建替えがあり、この時の地鎮祭は父と私が執り行いました。2004年、竣工したての新校舎に私自身がこの高校の教師として赴任できるとは思ってもみませんでした。当時は就職氷河期の真っただ中で教職も空きがない状態が続いていましたが、帝京高校の教師が、早稲田大学の地歴公民科教育の教師も勤めておられ、私を推してくださったのです。城北高校にしても帝京高校にしても地鎮祭がとり持つ不思議な縁を感じずにはいられません。

帝京高校では2013年から3年連続で高1の担任を引き受けました。最初の2年間は「アスリートコース」の生徒を受け持ったのですが、卓球のオリンピック選手の妹さんや名の通った柔道選手、後にプロゴルファーになる子らがいて楽しかったです。3年目以降からは特進・難関大学受験コースの担任教科指導(日本史)をしております。

 

歴史部で培ったチャレンジ精神を発揮

帝京高校と城北高校では学力レベルは比べようもありませんが、私が発奮した出来事が一つあります。この学校の文化祭で吹奏楽部の演奏は音楽室と決まっていました。広い場所で演奏したかったのですが、体育館などは民家が隣接しているので音が漏れたら苦情になるだろうという理由から、音楽室で限られた人数しか聞けず、演奏を聞きたくとも聞けない人が大勢おりました。これは何とかしたいと持ち前のチャレンジ精神に火がついて、学園側に説得を試みました。当初は無理一辺倒の先生方もおりましたが、演奏会を吹奏楽部とダンス部とのコラボイベントに仕立て、SNSで生徒たちに口コミを広げてもらったりして次第に話題が大きくなっていったのです。私が地元自治会に交渉して演奏の了承を取り付けたころには先生方もほぼ協力的となり、念願叶って盛大な演奏・演舞会を体育館で出来ました。それまでは2日間の文化祭にはせいぜい3,000人程度しか来校者がおりませんでしたが、このコラボイベントが話題になったのか、なんと3割増の4,500人にご来校いただきました。

 

神職と教職の両立で地元に貢献したい

2016年に父が他界しまして、弟が宮司を継いでおります。私は禰宜(ねぎ=宮司を補佐する神職の職称)の仕事を続けることを帝京高校に認めてもらっていますので、これからも神職と教員を両立しながら地域の人と学校に貢献して参りたいと願っております。

最後に当社の宮神輿について一言。双葉町氷川神社は600有余年続いていると申しましたが、宮神輿は1,700年代に奉納され、先の大戦でも焼失することを免れましたので東京23区で300年以上も現役を続けている数少ない宮神輿であります。来年2021年(令和3年)9月の例大祭は3年に一度の本祭にあたるため、私は馬に乗ってこの宮神輿の先導役を務めます。ご関心のある同窓生がおられましたら是非当社にお立ち寄り下さい。

2018年の例大祭

 

板橋区 双葉町氷川神社

東京都神社庁のホームページより

http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/itabashi/5219/

所在地 〒173-0011 東京都板橋区双葉町43-1

TEL 03-3961-7596

FAX 03-3961-7596

最寄り駅 都営三田線「板橋本町駅」 徒歩7分

東武東上線「中板橋駅」 徒歩12分

都営バス・国際興業バス「富士見町都営住宅前」徒歩3分

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