卒業生近況

ラグビーが導いたJRA認定の顕彰馬専門画家への道

1980年卒 長瀬 智之さん(2021年4月5日)

ラグビーやりたさに入学した城北高校

私は中学時代、新宿区立落合中学校で軟式テニス部に入っていました。区大会で優勝して、東京都大会に出たこともある、軟式テニスの実力校です。そこに東京教育大学(現筑波大学)ラグビー部出身の体育の先生がいらして、クラブチームを作って同級生の何人かがラグビーを始めました。私も誘いを受けたので、興味があったのですが、成績を残したくて軟式テニスを続けていました。このころから大学ラグビーの対抗戦をよく見るようになり、ラグビーもいいな、高校では絶対にラグビーをやろうと次第に考えるようになっていったのです。

ラグビーの強い高校を受験しようと考えたとき、城北は偏差値が高く、私の実力では到底無理だと分かっていました。けれども、学校を訪れて広いグラウンドを目にした時、何としてでもここでプレーしたいと心底憧れたのです。その思いが通じたのか奇跡的に合格できました。

入学前、ラグビーマガジンで全日本高校選抜の特集を読んでいたら、海外遠征に行く高校生の監督を務めるのが、「城北高校ラグビー部 顧問 石丸克己」とありました。目黒高校(現目黒学院)の梅木監督や、国学院久我山高校の中村監督、大阪工業大学高校の荒川監督といった、全国大会常連校の名の知れた監督は知っていましたが、これから入部する顧問の石丸先生が、実は高校ラグビー界ではかなり有名な先生だったのかと初めて知って驚きました。

 

ラグビーを通してつながれた縁

入部したラグビー部の練習内容は、強豪校のような、猛烈な運動量をこなさなくても強くなれる、石丸先生の合理的な理論に基づく指導で好成績を残しています。

入部する前年の1971年(昭和46年)に城北は国体出場していて、私が高1・高2の時と合わせて、3年連続で国体に出場しました。私は脚に自信があったので、ポジションはウイング、高3の時はセンターをやっています。

 

ラグビー漬けの高校生活のなかで失敗談もあります。カッコつけたい年頃だったので、当時流行っていたパーマを日曜日にかけ、月曜に颯爽と登校しました。その日はたまたま全校朝礼の日だったので校庭に立っていたら、誰かがなれなれしく肩を組んできて話しかけてきます。「かっこいいヘアスタイルだね、もしかしてパーマ?」振り向くと体育科の宮川正人先生です。びっくりして立ちすくんでいると「自分でパーマを落としてくるか、体育教官室行くか選んでいいよ」と、目だけは笑っていない笑顔で優しく言われたのです。この一声で私のおしゃれはたった1日で終わり、自分で床屋に行って頭を5分刈りに丸めました。

私がラグビー部員と知っていた宮川先生は、かなり手加減してくれていたと思います。なぜなら部活をやらずにパーマをかけている生徒は、有無も言わさず体育教官室に連れて行かれ、どデカいバリカンで丸刈りにされていましたから。

 

さて、受験は在京ラグビー強豪大学を受けましたが不合格となり浪人しました。この浪人中、ラグビーに詳しい人に、人生の大きな転換点となるアドバイスを受けたのです。「同志社大学はいいラグビーをする。これからもっと強くなるから、今目指すべきは同志社大学ですよ」と。

念願の同志社に受かって入部した同期のラグビー部員に、のちに日本代表選手を務める平尾誠二と大八木淳史らがいました。

彼らと同じチームで戦った1982年(昭和57年)度から1984年(昭和59年)度に、史上初の大学選手権3連覇を成し遂げたられたのは、本当に幸運でした。

同志社大学ラグビー部で史上初の大学選手権3連覇を果たした[1984年(昭和59年)]

 

平尾選手の一言で画家を目指す

就職が近づくと、ラグビーに代わって打ち込める仕事とは何かと考えます。かなり悩んだ末、それまでイラストを好きで描いていたこともあって、何かクリエイティブな仕事に就きたいと思うようになり、大阪のデザイン会社に就職しました。スポーツイラストレイテッドという分野で、様々なスポーツ関連のイラストを手がけました。その後独立してフリーランスとなり30歳まで続けたある日、知り合いから貴重な意見を貰います。「イラストレーターは依頼を受けたものは何でも描かなくてはならない。長瀬は本当に自分の書きたいものが見つかるまでは゛皿を洗え″」と。皿を洗えとは、食うためには他の仕事をしてまでも、自分の描きたいものを探す時期だという意味です。そこで、午前中は別の仕事をし、午後から作品作りに専念するといった生活を4年間続けました。

ある日、作品をいくつか持って、平尾に観てもらいました。彼は競馬の絵を指して「これがええんちゃうか」、「馬を描けばいい」と言ってくれたのです。平尾誠二のその一言が、競走馬を描く決心をさせてくれました。

思えば不思議な巡りあわせです。もし石丸先生に出会っていなければ、もし一浪したとき同志社に行った方がいいとアドバイスを受けなかったら、もし平尾誠二が同級生で同じチームにいなかったら、その彼がもしあの時競馬の絵を選んでいなかったら、と考えたとき、私の人生は、城北を起点に、ラグビーを通じて運命的に出会う人たちによって導かれた結果、こうしてJRA(日本中央競馬会)認定の顕彰馬画家になれたと思えてなりません。

JRA競馬博物館にて。(顕彰馬ロードカナロア号肖像画と)

 

シンザンをはじめとした顕彰馬との出会い

競走馬を描こうと決めてから、好きだったシンザン[編集部注釈:1961年~96年 戦後初のクラシック三冠馬。日本競馬史上初めて「五冠馬」の称号を得た。19戦15勝]に会いに北海道に行きました。当時、私と同じ34歳という年齢は、ヒトで云うところの百数十歳に相当します。驚いたのは、こんなにも歳を取っているにもかかわらず、その堂々と自信に満ち溢れた立ち姿に、すごく大きなオーラを感じたことです。この馬がどういう生きざまをしてきたのかを思い知らされるようで、競馬場の馬しか知らなかった私は、馬という動物の本当の魅力に 憑(と)りつかれてしまいました。

この美しく、優しく、力強い馬という動物とヒトとの共生は数千年に亘りますが、とりわけ顕彰馬と呼ばれる馬は、JRAに「殿堂入り」する成績を残せた、突出した実力と品位を備えた馬である点が魅力であります。私自身は描く前にその馬に必ず会って、魅力を一旦自分の中に吞み込んだ後アウトプットする、それが描くという行為になります。

黒騎 ―英国騎馬隊―

 

人生の方向性を決めるのに早い・遅いはない

ラグビー漬けだった高校・大学時代、その後スポーツイラストを描いていた青年時代を経て、1996年(平成8年)、35歳から独学で画家となり、今年25年目を迎え、私も60歳になります。今では「長瀬に自分の馬を描かせたい」と名指して頂ける馬主、ジョッキー、調教師も少しづつ増えて参りました。描いた絵を渡した瞬間、「馬が優しい目をしている」と言われることが多いです。

それにしても、ロードカナロア(2018年顕彰)、キタサンブラック(2020年顕彰)のような名馬を描ける悦びは何物にも代えがたいものです。

キタサンブラックと(2020年9月)

 

この間、思いがけない出来事もありました。JRA競馬博物館から依頼を受けて、私の絵の展示会を2019月10月に、東京都府中市の東京競馬場内にあるJRA競馬博物館で1か月間開催することが決まりました。このことは顕彰馬画家にとっては大変名誉なことでありますが、残念ながらコロナ禍の感染症対策で中止となってしまいました。

悲嘆に暮れていると、またJRA競馬博物館から『2021年の9月から、ギャラリーとそれ以外の展示室を使って、1か月間ではなく3か月間「長瀬 智之展」をやってもらいたい』と再度依頼を受けたのです。

このことでキタサンブラックの作品も間に合わせられる上に、ライブペイントもできるので、このことこそ私にとってまさに「塞翁が馬」。

城北学園の在校生・同窓生にこの拙文をご覧頂けたのでしたら、一言伝えたいことがあります。それは人生において「本当にしたいことをやる」決断時期には、早いも遅いもないという事です。遅いスタートの私の経験から、それを感じてもらえたら有難いです。

巷では還暦を迎えると引退・隠居を考え始めるとよく言われますが、今の私にとって、ノーサイドのホイッスルの音を聞いて筆を置くのは、しばらく先になりそうです。

 

【備考】

■長瀬智之作品展

と き:2021年9月11日(土)~11月28日(日)

ところ:東京都府中市日吉町1-1 JRA東京競馬場内 JRA競馬博物館

https://www.bajibunka.jrao.ne.jp/keiba/index.php

入館料:無料(但し、東京競馬開催日には競馬場への入場料200円が必要)

アクセス:

・京王線府中競馬正門前駅から徒歩7分・東府中駅から徒歩10分

開館時間:

・東京競馬開催日及びパークウインズ開催日/10:00~17:00

・その他の日/10:00~16:00 ※東門のみ開放

休館日:月曜・火曜日 ※祝日・振替休日は開館し、直後の平日が休館

駐車場:平日のみ無料専用駐車場あり

 

■長瀬智之ギャラリー兼アトリエ「厩(うまや)」

https://umaya-gumi.com/

 

問合せフォーム

https://umaya-gumi.com/%e3%81%8a%e5%95%8f%e3%81%84%e5%90%88%e3%82%8f%e3%81%9b/

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