卒業生近況

1961年卒 岸野 豊さん(ラグビー部OB) (2019年1月20日)

小生、城北中学に入学したのは、昭和29年、城北高校には33年入学36年卒業と、6年間城北に御世話に成りました。

今当時を振り返りますと、青春真っ盛りの頃若いエネルギーの発散をラグビーに求めて6年間ラグビー部に所属しておりました。

辛く激しい練習の日々を耐えてのちの3年生の時、第40回全国高等学校ラグビーフットボール大会(西宮球技場)に東京都予選の決勝で青山学院に11-3で勝ち、東京代表として出場することが出来ました。

歴代監督の江田先生、渡辺先生、そして代表監督の石丸先生と繋がられての快挙でした。

このすばらしい2度と得ることの出来ない思い出を作ってくれた諸先生方には、感謝感謝の気持でいっぱいです。

残念でしたが本大会では1回戦で熊本工業高校に6-3で負けてしまいました。

卒業後は東洋大学経済学部に入学ののち、父が池袋で時計店をしていたその関連でもある宝石貴金属の勉強をしてから、JR御徒町の駅近くに昭和51年(1976年)有限会社きしの宝飾という卸売会社を起こし営業を始めました。

この上野界隈は昔から時計宝石のメッカとして聞こえていましたが、特に最近その傾向が強く現在かつては下町風だった路面の事務所も、ファッション産業にふさわしい「ショールーム」へと変貌してきました。

その中心的役割を果したのが、JTO「ジュエリータウンおかちまち」という組織です。

設立から役員として参加して来ましたが、今では世界も認める「宝飾品問屋街」として発展しています。JR御徒町駅を中心に、2,000軒以上の宝飾品問屋・小売・加工場があります。一度散歩がてらに奥さんを伴なって「ウィンドーショッピング」で目の保養に来られたらいかがでしょうか?

今私も当年取って76歳と成りいつまで現役でこの仕事に関わっていられるのかと思案中ですが、それに変る生甲斐として、今趣味で、成田市にあるシニアのテニスクラブで第二の青春を謳歌しつつ、同時に60歳~80歳以上の人達と元気にテニスを楽しんでいます。最高齢で84歳のプレイヤーもいて、元気そのものです。とても励みに成ります。

他の仲間も皆若々しく背筋ものびてコート内を走り回っています。

尚我々13回生の同期会が、毎年11月の第3土曜日にあり友との友情が続いていますが、残念ではありますが、毎年の様に一人二人と天国への旅に出た友もあり複雑な心境です。人生50年から今100年ともいわれる昨今、これからの人生を前向きに捉えて頑張りたいと思います。城北学園が増々発展して行く事を心から祈念して、私の雑文を終わらせてもらいます。

ありがとうございました。

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