卒業生近況

1965年卒 宮本 直樹 さん

1965.3.31に卒業

還暦を過ぎ、今、62歳になった。

東京私立城北高校を卒業(昭和40年)してから、24歳まで今はやりのニートをし、即ち6浪し、 やっと慶應義塾大学工学部に昭和46年に入学した。(本当は医学部志望だったが、大変残念!!)
その工学部電気科(自動制御)を28歳で、keiさん(Mixi一覧参照)等、当時のお若い同窓の協力で、 やっと昭和50年に卒業した。

それでも晴れて、当時30万人弱の職員を擁する電電公社に技術系として入社した。

内定後、自分を最高値で売るため多数のお見合いで、今のカーちゃん(当時24才)を見つけ、 双方合意で素早く28才で結婚した。

入社時の専門分野は電子交換機で、その開発、建設・保守を担当した。

それから20数年が過ぎ、私も50才になった。
日本含む世界の電話会社は、独占・独自技術に安住していると感じた。

一方keiさんの勤める世界最先端のNTT研究所では、1995年ごろからインターネットの時代へ の予兆があった。
即ち、TCP/IP/ルータ・P2P・SQL・セキュリティの時代に変わると確信できた。
私も、2000年ころから、TCP/IPと主要アプリケーションを徹底的に学んだ!

シスコシステムズのルータ技術とマイクロソフトのサーバ・SQLの技術をコマンドレベルまで修得した。
その両社の認定トレーナー兼システムエンジニアになった。

また一方、電電公社での30歳からの管理職としての仕事は、数十億円の建設投資、人事、企画を 順次こなし、5百人前後の組織の支店長・局長も体験した。

土日祭日を含み毎日酒を飲み、1/3は職場に泊まりし、平均睡眠は5~6時間で、20年間を過ごした。
結局退職まで27年間、その本社と現場を渡り歩き、最後はNTT本社で、55才でそれなりの地位で、円満退職した。
超巨大組織の仕事のやり方を堪能し、大変満足した。
足踏みし、遅れた割りに、サラリーマンとしては、大成功に近い。

現在、一妻・二男(システムエンジニアと薬大3年)で、家庭環境・生活状況は平凡で、大変満足している。

趣味は 音楽鑑賞、古典の読書、お酒、インターネット、スポーツはサイクリング、ウォーキングを楽しむ。

目標は”老衰まで毎日をゆったり、怠惰に過ごす”

現在の仕事は、退職した会社の子会社で社員向けの法律インストラクター(嘱託:63歳まで) をして、第二の人生を送っている。

今は毎日平均睡眠7~8時間で、ストレスも少ない。
毎日自宅の中野から職場の神田まで、往復25Km、往復2時間半、クロスバイクの自転車で通勤している。
毎年約5千Kmを走破している。即ち、毎年日本列島を一周している距離である。

課題は離職後の“暇との戦い”の戦略とその実践である。

一案は、老衰まで概ね30年がかりで、「源氏物語」、岩波の新古典文学体系 (重さ5Kg)の原文を、精読読破したい思っている。
日本人の心を集大成していていると、あの本居宣長、小林秀雄も言っていたので、 今探究心が湧いてきた。

今の法律の知識は
憲法:芦部、
民法:我妻、
刑法:木村光江
民事・刑事訴訟法は概論レベル、
会社法(商法)は未完である。
しかし、今の記憶能力は、まさにざる状態である。
鳥のように三歩あるけば、全て忘れる状態だ。

卒業生について 一覧に戻る>>