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報告

クラブOB会訪問①:弓道部 OB 会「誠弓会」会長 島村 吉郎さん​ #2

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↑弓道部顧問 髙橋 浩昭教諭[1985年(昭和60年)卒 第37回生]

 

清水:先ほど名簿上では500人以上の OB がいらっしゃると伺いまいましたが、 OB で現役生の練習指導をなされる方はいらっしゃるのですか。

髙橋:師範の内田 浩さん[1973年(昭和48年卒) 第25回生]のもと、誠弓会副会長の金子哲也さん[1990年(平成2年)卒 第42回生]を指導部部長として、総勢10名の称号者または高段位のOBによる指導部が、およそ月の1回のペースで審査前講習会、もしくは射技講習会を実施しています。

また、毎年夏の合宿の時は、大学生を中心に、OB が10人から15人程度、自費参加で指導に来てくれています。一昨年まで長野県の小諸で合宿を続けてきましたが、去年から長野県の菅平に合宿所を移したので少し遠くなってしまいましたが、指導には必ず大学生の OB は駆けつけてくれます。その代わり、現役生からは恩返しとして年1回の OB との交流戦である「OB現役親睦会」があって、OBの皆様に、母校城北の道場で弓を引く機会を提供しています。今年も10月か11月に予定しています。

 誠弓会からは、毎年部に必要な道具や金銭的な援助ばかりでなく、人的援助も厚く、非常に感謝しています。それで夏合宿に来てくれる大学生OB には、宿泊費の半額を 誠弓会が援助することで、大学生OBが来やすい環境づくりをしてくれています。

↑夏合宿で中1新入部員を教える狩野 才門さん[2011年(平成23年)卒 第63回生]

 

清水:大学でも弓道部に在籍しているOBはいますか?

髙橋:大学でも弓道を続けるOBは、私が顧問になった約20年間では、以前は弓道サークルが多かったですが、最近は体育会弓道部に所属して、本格的に弓道を続けるOBが増えてきています。現在大学弓道で全国トップの強さを誇る法政大学弓道部の今の主将は、OBの古張 力さん[2017年(平成29年)卒 第69回生]です。

島村:弓道の段位には、初段、弐段、参段から十段まであって、五段と六段の間に、 段位とは別に錬士と言う称号をとらなければなりません。一般の弓道では、錬士五段をとっていないと人に指導ができないのです。

髙橋:普通は、大学四年間で取れる段位は四段までが一般的です。社会人で経験を積んでいかないと五段以上の高段位や、錬士以上の称号は取れません。

島村:五段、錬士、六段、教士、七段、八段と審査を受けて行きます。その後の、範士、九段、十段は推薦です。OBには教士六段が2人います。私の一つ上の代で、前会長で現師範の内田 浩さん[1973年(昭和48年) 卒 第25回生]、私と同学年の出下 晃一郎さん[1974年(昭和49年)卒 第26回生]です

↑歴代OB、在籍者名札がずらりと並ぶ

 

清水:歴史もあり弓道場も広く、OB の層も厚いというのは後輩からすれば、よほど恵まれた環境なのですね。現役生では中学生が高校生と一緒に練習できるのもいいですね。

髙橋:部員が多いために、中高生全員が毎日一緒に練習することはできなくて、中学練習日が2日、高校練習日が2日、高校生が中学生の面倒を見ながら一緒に引く中高練習日が2日、というように分けています。日曜日は、原則として休みですが、公式戦、審査、練習試合が入ることがあります。

島村:私が高1で入部した頃は休みが無く毎日練習でした。入部して初めて弓を引くわけですが、当時の城北は、大学の弓道部より厳しい練習を積んでいたように思います。

清水:私が在学中、当時弓道部員だった同級生は、的に矢が当たるたびに「あた~り~い~っ」と独特のイントネーションで、大声で「当り」を叫んでおりましたが[=鳴き看的(なきかんてき)]、今でもやっているのでしょうか?

島村:今の弓道場は元校長の近藤薫明先生宅跡地にあります。周りのアパートや民家に近くなっているので、ご迷惑をかけないように鳴き看的は止めています。ところで、弓道の応援の仕方が昔と今とでは変わりました。昔はギャラリーの声援が認められなかったので、拍手をして応援したものです。大きな試合となるとギャラリー数が多いので拍手量が断然違っていて、選手の力の違いが拍手の量で分かります。

髙橋:今は〝矢声“と呼ばれる「よし」と言う掛け声が許容されています。ここ10年くらいは、他校の女子からも矢声が掛かるので、たまたま応援に来た昔のOBがびっくりされていましたね。当時は、他校からの矢声はありませんでしたので、城北生の低い声による矢声ばかりだったのです。

清水:私の在学中、剣道場と柔道場も建替えられましたが、弓道場もその一環で新設されたのでしょうか。

髙橋:城北学園創立35周年の記念事業の一環として、先に剣道場と柔道場が1977(昭和52年)に落成しています。翌1978年(昭和53年)に弓道場が改築されたのです。ちなみにこの年に中学棟が落成しています。

島村:新弓道場の落成式はこの年の11月1日にありましたが、私が矢取役で、蟇目儀[ひきめのぎ=お祓いの鏑(かぶら)矢を射ること=]の蟇目射手として小笠原流三十世宗家嫡男 小笠原 崇雅さんに弓を引いて頂きました。

2007年(平成19年)の10月に行われた「創部50周年記念式典」では、小笠原流宗家名代 松本 昭正さん[1968年(昭和43年)卒 第20回生]による木馬の型での流鏑馬(やぶさめ)演武と、小笠原流三十世宗家嫡男名代の早田 宰さんによる木馬の型での騎射挟物(きしゃはさみもの)演武が行われました。

清水:島村会長は在学中に好成績を残されましたが、その他に思い出に残るエピソードはありますか。

島村:射た矢に、次の矢がまっすぐ刺さって2本の矢がつながる〝継矢(つぎや)“と言うのを3回ほど見たことがありますね。

高橋:ええっ!継矢は本当に珍しいことで、写真を撮って「月刊弓道」に送ると誌面で掲載されますよ。

島村:私が大学時代に高輪台駅のホームにいたところ、近くにある頌栄女子学院の弓道部の顧問の先生が偶然私を見かけて近づいてきて「あなた、城北高校弓道部にいらした島村さんでしょ?この駅にいるのだから明治学院大学に通われていらっしゃるのですか」といきなり聞かれたのです。そして「うちの道場でも弓をひきませんか」と誘うのですよ。それで、「先生のところは女子校ではないですか?」と私が尋ねると「そうですが、是非ともいらしてください!」と強く頼まれて、練習に行ったことがあります。

髙橋:その先生は私も存じております。頌栄女子学院の後、芝浦工業大学付属中学高校の弓道部の顧問の先生をされて、今は中弓連の副会長ですが、今年の4月から会長に就任されます。

清水:髙橋先生は高校や中学の連盟で役員をなさっていらっしゃるので、ご存じでいらしたのですね。

島村:髙橋先生は城北の教諭でありながら弓道部 OB として、現役生と「誠弓会」の間を取り持って頂いていて、大変良い関係を築けています。生徒には非常に慕われていますし、OBからの信頼も厚いですね。

清水:島村会長と髙橋先生にはこれからももっとOB会と現役生を盛り立てて頂けることを期待しております。有難うござました。

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