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報告

2020年3月26日(火)

同窓生列伝-1- ギネスブック認定記録樹立 2年B組「人間椅子」/1981年(昭和56年)卒 第33回生 #2

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司会/嶋野:在校生でない外部の人たちにはどうやって参加を呼び掛けたのですか?

大谷:文化祭の前に上板橋駅でチラシを配ってました。あとは、都内の都立・私立の高校の2年B組宛に手当たり次第に手紙を出したり…。

宮下:駅前のチラシ配りはほとんどナンパ目的だったよね(笑)。

:放映が決まってから、文化祭の2週間ぐらい前にフジテレビのニュースで人間椅子の練習風景を取り上げてもらうことになったんです。夕方6時からのニュースでしたから、当時人気キャスターだった田丸美寿々さんが学校に来ることになり、クラス中で大騒ぎでしたよ。

宮下:人間椅子の列に田丸美寿々さんが加わってもらえることになり、誰が田丸さんの後ろを取るかとか、前になるかとか激しい言い争いになりましたね。

:当時の古い校舎のプールサイド脇で、クラスの仲間が「人間椅子」の列を作って練習している中に、本物の田丸さんが取材したり、実際に人間椅子の列に加わっているのを、全校生徒が教室の2階3階のベランダから眺めていて、それがきっかけで関心が高まって、協力者が一気に増えました。本番までの2週間、毎日昼休み時間の練習には、いろんなクラスの生徒も練習に参加してもらえるようになったんです。

倉林:取材が来るまでは、みんな冷ややかに人間椅子の練習を眺めてましたからね。

司会/嶋野:3,395人の記録を作れるほど人が集まるって考えていたの?

大谷:文化祭には1日5,000人、2日で1万人集まるってことは知っていましたから、3,400人くらいなら行けるなと思ってました。

司会/嶋野:それだけ準備していて、どうして初回の挑戦で失敗したのでしょうか?

石井:結果は3,330人で、たった65人足らずで涙をのみました。

司会/嶋野:人数はテレビ局で数えたの?

清水:2年B組の生徒です。列ごとに人数をカウントする役がいて、集計できるようになっていました。

↑1981年の卒業アルバムより

 

:本番のとき、いざ座り始めると結構間隔が詰まるので、所々で椅子と人の膝と膝の間が空いてしまうってことが分かったんです。事前に「空き埋め要員」を用意していましたがその人も足らなくなって、離れてしまった椅子と椅子の間隔を詰めるのが大変でした。

司会/嶋野:私もあの場に居合わせましたが、当時の細谷教頭も参加されていました。教頭があの歳で人間椅子の列の中に座っているのを見て、本当に有難く思いましたね。

石井:初回のチャレンジの時は、私と宮下が司会をやっていて、ダッグアウトの上にたむろしている学生が相当数いたので「降りてきてくださ~い!!」と叫んでも、自分たちより上の3年生の先輩たちは冷ややかに見てました。 65人以上の生徒がいたので、参加してもらえたら結果は違っていたかもしれないです。

↑空き埋め要員に指示するMC倉林氏(右)と宮下氏

 

宮下:私たちがMCを務めていましたけれど、いよいよ準備が整ったという段階で久米宏さんがステージに登場した途端に、参加者がわーっとステージめがけて集まり出して、パニック状態になりました。それまで人間椅子として座っていた人たち全員が、立ち上がってステージに押し寄せて来たのです。さすがにこの時は慌てましたね。久米さんに頼んで、列に戻るようにと伝えてもらいました 。

:初回の挑戦の時は結構バタバタがあったんです。

司会/嶋野:イベント自体はどれくらいの時間をかけたの?

:文化祭実行委員会から与えられた時間が1時間しかなくて、あれも結構きつかったですね 。

倉林:初回のチャレンジがフジテレビで放映された時、2時間番組の一番最後に城北の映像が放映されました。しかも20分ぐらい、一番長く取り上げられたんです。最後にエンドロールにかぶりながら、記録挑戦に失敗して悔し泣きをする宮下がアップで映って「来年は必ず成功させるから!」と叫んでスローモーションで終わる、という見せ方だったので、相当共感を呼んだと思いますよ 。

↑MC宮下氏とダッグアウトの人たち

 

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