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2020年3月26日(火)

同窓生列伝-1- ギネスブック認定記録樹立 2年B組「人間椅子」/1981年(昭和56年)卒 第33回生 #3

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初回はギネス認定失敗、しかし翌年同期が結束し、2度目の挑戦は学内外の協力が厚かった

清水:「人間椅子のギネス記録に挑戦して失敗した高校生を見て感動した」って投稿が新聞記事にも出ました 。

宮下:「ギャルズライフ」っていう、当時の女子校生向けの雑誌の取材が文化祭が終わってからあって、人間椅子をしている2年B組全員の顔写真と名前入りで紹介されました。

清水:個人情報なんて考えが当時なかったから、今じゃ考えられないよな。

宮下:上板橋の駅の改札に女子高生が結構待ち伏せしていて声をかけられました。

↑上/主婦の友社刊「GALS LIFE」1980年1月号表紙

↑下/2年B組クラス全員の写真と名前が掲載

 

倉林:文化祭の直後に修学旅行で京都と奈良に行ったんですけど、番組を見ていた女子校生達が「キャー!人間椅子の人だ!!」と言って集まってきてかなりモテたよな。

:テレビの全国ネット放送の力ってすごいね。

大谷:修学旅行中、学生服の下に「チャレンジ3,395」のロゴの入ったおそろいの黄色いTシャツを皆で着て歩いてたからな(笑)。

ごく普通のクラスの「文化祭出展」の企画が、独特な着眼点と卓越した発想により全校を巻き込んだ「うねり」を作ったことは、城北学園始まって以来の革新的な出来事であった。

初回チャレンジの直前に2年B組のクラスで「奥秩父で人間椅子合宿」までしており、クラスの仲間の連帯感の強さと、担任との信頼関係の深さが表れている。

「クラス全員参加」はやがて高3有志といった学年横断的な連携にまで発展する。創意工夫、緻密な計画に各人の個性が光り、徹底した議論でチームワークを醸成し、柔軟さも兼ね備えた新体制の「高3人間椅子有志」は、地域住民の協力まで取り付け、ついに「人間椅子」ギネスブック認定世界記録=5,810人=を達成する。

およそ80年の同窓生の歴史に「世界記録」という金字塔を打ち立てた、実に稀有なクラス・学年が1981年卒・33回生であると云えよう。

司会/嶋野:2年生の時に失敗したけれど、3年生になって2回目のチャレンジをすることになった経緯はどういうものですか。

大谷:初回の挑戦では人数不足で失敗に終わったときに、悔しさのあまり宮下が泣きながら来年も必ずやりますからと宣言したんですね。テレビに出て云ったからにはやらなきゃいけないよね、となりました。

石井:3年になってクラス替えがありました。私立文系コースの3年 B組と C 組のクラスには、元2年 B 組の連中が多くいて、そいつらがまたやろうと言ってくれたんです。

:頭のいい選抜クラスの連中からも人間椅子に協力したいって申し出があったよ。

司会/嶋野:どうして2回目は成功できたと思う?

石井:2回目は、本番前の練習に参加してくれる生徒が圧倒的に増えました。

大谷:それに、2回目は緻密で戦略的になりました。列の途中が空いたり、人数を数えるのがうまくなっていたりという具合です。空き埋め要員を増やして、空いている場所がステージからすぐに指示できるように工夫しました。1回目の時は司会が「あそこが空いている!」と叫んでも、グラウンドにいるクラスの仲間にはどこに空きがあるのか分かりにくかったのです。そこでアルファベットの看板を立てて「E列の後ろが空いた」というように場所を特定しやすくしました 。

↑1980年9月21日、2回目の挑戦ではアルファベット看板で空き位置を把握

 

:陸上部の寺田と竹澤がメジャーを持ってきて、何人で座れば何メートルになるとか、方眼紙にグラウンドの列の線引きを細かく記して計画を練り直しました。座り始めてから何メートルになった時に、空きがどれぐらいできるか予測できるようになって、本番では、たとえ左右の列と比べて長さが整っていなくとも、まずは空きを作らないように集団ごと移動させたり、人間椅子の最初の座り始めから、どれくらいの人数が座ると何メートルになり、さらにどの位置あたりで空きが生じるだろうから、空き埋め埋め要員が何人くらい必要になるだろう、というのまで、細かくシミュレーションして準備したのです 。

司会/嶋野: 「チャレンジ・ザ・ギネス」は、フジテレビでいつ放映されたの?

石井:特番で春と秋の年2回放映されていましたから、城北は10月の放送です。久米宏さんがメイン司会をずっとやっていました。

倉林:2回目の挑戦の直前に海外でギネス記録が更新されてしまい「人間椅子」の人数がそれまでの3,395人から5,148人に引き上がってしまったんです。初回と比べて一気に1,700人以上増えてしまって、この記録更新できるかなってちょっと慌てました。

:想定6,000人で「人間椅子」の列を作れるようにシミュレーションを変えました。

司会/嶋野: 綿密な準備ができたから成功できたのでしょうか。

:そうです。グラウンドに入る時ゲートを作ってそこからしか出入りできなくしたので、移動をある程度制限して、正確な人数を割り出せるようにしました。

大谷:ナンバリングした参加証っていうのを作って参加者に渡して、何枚残ったから今何人参加しているというように、すぐに人数が分かるように工夫をしました。

倉林:2回目の時は、文化祭実行委員会から午後2時から5時まで3時間もらえたのが良かったです。

清水:文化祭2日目は、午後3時でクラスの催し物を終えた学生たちにも、帰らずに大勢参加してもらえました。学外に試合に行っていた運動部が、試合後にわざわざ学校に戻って来て参加してくれるなどの協力もありました。少林寺拳法部の人たちは道着をつけたまま駆け付けてくれて、空き埋めに協力してくれました。

石井:近所の人達も大勢協力してくれましたよ。少年野球の練習帰りに、チーム全員で参加してくれた桜川小学校の児童たちなど、近所の人の協力は本当に大きかったですね。

↑地元桜川小学校の少年野球チームも協力

 

司会/嶋野: 記録認定まではどんな運びでしたか。

宮下:参加人数が分かっていましたので、頭とおしりの椅子をつないで1分間静止ができた瞬間に「記録更新した」と確信しました。

石井:2回目の時の認定の時には、宮下と大谷と古林と私の四人が呼ばれて、フジテレビのスタジオに行きました。城北のチャレンジ映像をギネスブックの認定員が見て、英語で「認定します」と答えたのを見て、4人でガッツポーズを作ったのを覚えています。

:でも、これにはオチがついていまして、ギネスブック1982年版には主催者が城北高校ではなく、フジテレビとなっていたんですよ。怒った石井が局に文句をつけて「僕らがギネス記録を作ったんです!」と言ったので、講談社から発刊された83年版には、城北高校としっかり名前が載りました。

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